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大扇火焔寶寿大黒天図
だいせんかえんほうじゅだいこくてんず

七福神の一に数えられ五穀豊穰・商売繁昌の福徳の神として夙(つと)に知られる大黒天だがその起源は古く、遠く古代インドからヒマラヤを越え、我が国には天台密教と共に伝教大師がこれを伝え比叡山に祀ったのが最初と云う。豊饒の神から転じてその作物を煮炊きする「竃(かまど)の神」となり、更に転じて「火伏(ひぶせ)の神」とも崇められて来たのがこの佛である。当初の姿は多面多臂で身は黒色、武装したその形相は忿怒(ふんぬ)即ち怒りの相で象の皮を踏むと云う…。

この度、この一尺一寸の扇子入手の得難き好機に応じて想を得て、その赴くままに一気呵成と画き上げ、吾が筆に受けたのがこの火焔黒衣の大黒天である。

この大扇でひと扇ぎすれば、たちどころに清風起こり邪気を払い、福を呼び、禄を積み、寿を養うのである…そぅ扇子を広げ歓喜する私の頭に一瞬そんな想いが駆け巡り、この大黒天が厳然とその姿を現してくる…。通常に私が描く福福しい大黒天とは少し趣きの異なる神神しい大黒天である…。

大扇の大きな画面をまるで「わしとわしの利益(りやく)はそれでも納まり切らぬわぃ」と言わんばかりにこの密教の佛は黒衣を天地にはみ出しドッカと現れる。両の手には恰(あたか)も「佛の心」を大切に護持するかのように如意宝珠(にょいほうしゅ)をやさしく抱える。

如意宝珠は文字通り、あらゆる願いと幸福を意(おもい)のままに叶え集める神仏の宝である。宝珠からは破邪の火焔がゆらゆらと美しく棚引いて扇面を横切る…。悪しきもの・邪なものを決して寄せ付けぬこの大黒の火焔は大扇の風を受けて尚、炎に勢いを得、尽きる事無く永劫未来へ燃え盛るのである。

こんな謂(いわ)れを持つ扇子ならば…一度は手に取り自らに向けてひと扇ぎしてみたいもの。その縁起にあやかりたいもの…と、こうなれば使う者にとっては扇子の風もただの風でなくなるのである。

工芸も絵画も…つまり芸術は人とひとの人生に寄り添い、それを日々豊かにするものでなければならないと私はこれまで思って来たし、これは道釈画は固(もと)より、楽焼、昨今の備前焼にいたる今現在の私のあらゆる表現活動においてその根幹となるものである。

扇子を描き仕立てるにも、楽茶碗を拈(ひね)るにもそれが何かしら人の心の琴線に触れるものを創りたいと只々工夫するのである…。

己の主義主張を表現に押し出すその前に、先ずは相手が心に大切にするものや人生に願うことを自らの表現とする…これが真の芸術表現の在り方だと私は確信している。

「相手の心を己れの心とする…」

これは「迎合や妥協」ではなく「慈悲と智慧」の所産なのである。

…気がつけば今年もあと残りわずか…。

この一年もここ玄鶴樓(げんかくろう)の画室机上から沢山の作品を世に出せたことが私にはやはり何よりの幸福だった。日々私が制作する一枚の道釈画、一わんの茶碗に多く人との新しい出逢いが生まれ、彼らの実に多彩でドラマチックな笑顔と涙の人生に触れ、その心を学ばせて頂いた。道釈画家にとっての得難き至宝…これがまさに私の如意宝珠なのである。

「来年の事を言うと鬼が笑う」と言うが今、私の前では火焔寶寿の大黒天が厳かにこちらを見て笑っておられる…。「来年をどう生きるかで今があるのではなく、今をどう存分に生きるかで来年が決まるのだ」…ふと扇面の中から言われた気がした…

文 ・玄鶴樓主人
2017年12月 制作

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