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扇面心月二聖図
センメンシンゲツニセイズ

月華の譚

月の明かりのみが描き出す夜の色を経験したことはあるだろうか。 遠くの山は漆黒に重なり、近くの露草や虫の声、風の色は薄明るく紗に見える程の夜だ。正に水墨画の景色が拡がっていく。 この月に関わる禅語の一つに「篩月」(しげつ)と云う言葉がある。 夜の月…その光はあらゆるものを潜り抜けて清寂の世界を遍く照らし、また現世の様々な縁(えにし)を温かく映し出す。まるで月の明かりが篩(ふるい)をすり抜け、ありとあらゆるものに隔て無く降り注いでいる様子は、衆生に注がれる仏の尊い教えと重なる。先人が月の光を「月華」と呼んだ所以である。 そして心を鎮めると、大地の息づかいが聞こえそうな月の世界の深淵さを見る。月の明かりさえこう見る東洋人の自然観は水墨画を大きく発展させたのだろう。 この画の寒山と拾得は、そんな天台山の夜の月を見上げた。 ぽかっと中天に月輪が凛と輝いている。晴空見渡せば、一物も無い。無数の星と一際の月だけである。皓皓と孤高に全てのものを照らし出す。この二人の心をも…。 そこに私は無く、作為もない。あなた達がどう生きるかっていうことを示唆するものが、茲にあることを教えている 。何かを心得た様に笑みを浮かべながら、我々に向かい寒山はこう問いかける。「吾が掌中に秘めやかに輝くものは一体何か? 」 見るものの境涯が、その答えを黙然と教えることだろう。

文 ・太書紀
2015年9月 制作

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