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扇面 先意合財布袋図
センメンセンイガッサイホテイズ

五分の譚

…何気なく画いた一本の線だった…。何ともこれが墨の変化と筆の動き、紙の調子が相まって面白い!こういった場合を私は「禅味が生じる」と周囲には言っている。

勿論、独り画室に在っては誰れに言うとはなく只々、その密やかな感動と高まる興奮を筆の先に頼み、ここは一気呵成に画き進むのである…。

古い書論に「意の先に筆あり」という言葉がある。まさに作者の意図や思惑を待たずに筆が先へ先へと闊達に進んでいくと言う訳である…。道釈画に肝要とする「直感的表現」に通じるこの道理は…結果、時としてその意図や思惑を遙かに超えたものをそこに表出してくれる。

運筆の所要時間はたしか5分にも満たなかっただろうか…。

興に乗ったこの制作では咄嗟に二本の筆を使った。即興の筆であることの疾さに加え、右手に画筆、左手に写巻筆を執ったまま両手で「線と面」・「墨と水」を交互同時と繰り出すのであるから手間は二分の一。…この早さも本人には当然と言える。

結果御覧のように布袋の画が一気に出来上がった次第である。この上に淡墨を差し、彩色を施し、尚も何かを描き足すことがベタベタとこの画を諄く説明してしまうようで、またその行為が頑なに拒まれているようで…キッパリとここで筆を置いた。

「これはこれでよい!」…とそう思える数少ない小気味良い瞬間だ。道釈画に水墨を探究して三十数年になるがこの瞬間は一年を通じても数度。なかなか意図して得られるものでもない。

気に入った画にはとびきりお気に入りの格の高い印を捺してみる。

西園寺公望(さいおんじきんもち)卿の自刻の印「游心太古」。

御周知の通り、西園寺公望(嘉永2年1849〜昭和15年1940)は幕末から昭和の初めにかけて公爵にして日本の政治の中核に在って政治・教育・文化を牽引し、内閣総理大臣を二度歴任して以後、九十歳で世を去るまで「最後の元老」と世に謂れた人物である。勿論、第一級の文化人として書も能くし、その雅号を「陶庵」と称したが元来篆刻家ではないので自刻の印は大変希少なのである。

早速この秘蔵の印を玄鶴樓書棚から撰び、遊印として画中に使用した。単刀法により迷わず一気に奏刀された西園寺卿の白文は毅然として堂々とあり、その境涯をこの画中に頂くに何の不足無し!…と言ったところだろうか。「心、太古に游ぶ」の印文も意に適ってこの画に相応しい。描かれた画とそれに捺される様々な印の関係はかくあるべきであり、また古えよりかく楽しまれもして来たのである。

2016年。新春早々、初筆に受けた折角のこの心地良く、縁起の良い布袋の画である…。 急遽、昨年暮に用意していた干支の図柄をこれに差し替え、幾分の意匠を加筆し、50枚限定で年賀状を新たに複製することにした。賀状には自筆自賛の句と署名落款を一枚一枚手作業で書き添えるのが毎年の恒例である。今年は二句を書いた。

「寿福至大」この上無い健康と幸せがありますように…。

「福祿合財」限り無い幸せと富が集りますように…。

布袋は七福神の一人で唯一実在のひと。

本名を釋契此(シャクカイシ)と言い、唐末の時代に明州(現在の浙江省寧波市)にある四明山を中心に遊行した散聖(寺院に定住しない聖僧)で合財袋(がっさいぶくろ)という大きな袋を担ぎ、常に街々を渡り歩いては笑いながら子供達と遊んだと云う。後代に弥勒菩薩の化現した姿とされ、人々から絶大な信仰を集めた。その袋にはいつしか沢山の財宝と幸せが限り無く詰まっていると言われ、禅宗の隆盛と共に吾が道釈画でも人気の好画題として描かれて来た。

何気なく思った事や思いもよらない些細な事がきっかけとなり、やがてそれが大きな幸せに膨れ上がっていく…。無心無欲なればこそ!その歓びも楽しみも万倍万万倍となる。

たった一本の掠れた墨の線から至福の画が生まれる様に…2016年が皆様の歴史にとって奇想天外!予想を遥かに超える豊かで楽しい幸福を招く一年となりますように…。

文 ・玄鶴樓主人
2016年1月 制作

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