大詰の譚
道釈画の中に「吉祥画」と呼ばれるジャンルがあるのをご存知だろうか。 私達は日々の暮らしの中で先祖を敬い、一門や家族、親しい友人、愛しい人など生涯大切に想う人への限り無い幸福を願い、それを絵画に託し、家宅の最も神聖な場所(床の間)に掲げて来た。日本人の人生の機微の喜びや願いと共に発展して来たのがこの吉祥画なのである。成立は遠く室町時代と云う。
今日に伝承されているこの画題には実に様々なものがあるのだが…中でも古来、人々に最も親しまれ絶大な信仰と人気を得て描かれて来たのが御存知「七福神」である。七福神の起源はやはり室町時代にまで遡り、江戸時代半ばまでには今日の七人の福の神に定着する。
…さて、本作の話。
雛は古来、人が人への大切な思いや願いを託す玩具、即ち人形(ひとがた)として伝承されて来た。この雛の絵を描くのは決して珍しい事では無く、江戸時代以後、後期琳派や四条派など…多くの画家たちの筆に幾例も遺されている。しかし、それらは皆、雛の人形を人形(にんぎょう)として描き写したものばかりであり、容姿やその様式を絵画のモチーフとして描いているに過ぎない。前述の【吉祥画】の意義に基づいて雛人形もまた私にとっては重要な画題の一つであり、目眩く創意の対象となるのである。
今回はこの雛の絵を大和絵の画法を用いて描くことにした。大和絵の本領はなんと言っても色襲(いろかさね)と王朝典雅(みやび)の意匠に在る。
私は吉祥画の構成には複数の目出度い意匠を伏線として描き込んでいく。男雛に寄り添う女雛は紅白一枝の梅を持つ。梅は百花の魁であり、その吉兆を紅白の色が更にめでたく彩る。男雛女雛の衣装の袷せは結実の象徴である桃の色襲。ふたりの衣装の吉祥紋様は色は違うが一箇所だけ中央で一つに重なり、気付かぬ縁(えにし)を暗示する。縁は円に通じ、それを紅白の水引に見たて、これを大きな円でしっかりと結ぶ。女雛の宝冠の胡蝶の形はいつしか一対の蝶となり天空に舞い上がり、二人の想いと前途洋々なるを象徴する。
【花関】とは花いっぱいに埋め尽くされた玄関のこと。古来、中国ではその家に祝事があり、大切な人を迎える時、大切な家族を送り出す時、玄関を花で飾るという風習があったと云う。
花嫁が嫁いでいく日。花嫁を家室に迎える日。若い夫婦が別に一家を成す日…これを祝って花関としたのである。
私が吉祥画を構想する時、このようにまるで歌舞伎の戯曲さながらに、画中に物語性と創意を複雑に見立て、絡ませ、「大詰」の見せ場に向かって華やかに床しく展開し、観る人の想いと視線を構図に誘(いざな)うのである。
そうして…この花関紅白結雛を御覧の皆様の「尤もやッ!」のひと声を【大向こう】から頂けたなら首尾は重畳、私の口上も「本日はこれ切り」道釈画家冥利に尽きるのである…。