幽玄の譚
普賢菩薩に寄り添う白象の体は、一弾指の間で描かれた。一筆の線描の濃淡に呼応するかのように幽玄なる空間が出現する…。瞬時の運筆に大きな白象の体の重みや質感、温もりをも彷彿とさせる。眼を凝らすばかりか、意識は何時しか画中の世界に引き込まれたのだ。 「幽玄」とは元々、中国思想で用いられる漢語であったが、日本では、和歌を批評する用語として広まった。壬生忠岑が「和歌体十種」で用いてから、余情や景色、柔和で上品な、言葉では言い表せない境地を示す。実際に描かれているか、視えているかは重要ではないのかもしれない。画に込められた色を、形を、状況を、受け手が体感できるか、感受できるかどうかが大切なのだろう。天谿さんの左手から静かに発した白象の背を周る一筆は何処かに消え、視る人の世界と宇宙を一巡してまた紙上に戻ってくる。そんな次元を超えた果てしない距離と空間を感じることが出来たなら、水墨画はもっと我々の心にとって豊かなものになるだろうし、我々はこの歴史ある表現をもっと新鮮に楽しめるのだろう…。