作陶の譚
画家の手に依って生まれた楽茶碗だ。
墨と水を天意に委ね表現することを知るこの画家が今度は土と炎を操るのである。
天谿さんが京都で本格的に楽の作陶に取り組み始めるのは2011年の春からである。京都祇園に江戸中期より綿々七代続く楽焼の名家川嵜和楽氏の窯をお借りしてのことである。本業の道釈画制作の合間、思うにまかせ土と造形に遊ぶひと時はまた格別の自己解放の時間と言う。
作陶は先ず…軽く丼ぶり一杯ほどの土の塊を両手に転がしては叩く。親指と他の指で調子良く土を摘み上げ、左回りにこれを送りながら器の胴部を徐々に立ち上げていく。時折り手を止めては掌に茶碗を抱えその形を確かめ馴染ませる。工房で独り背を伸ばし黙念と土に向かい続ける天谿さんはまるで坐禅をしている様である。気を衒わず、土の力の向かうままに素直に柔らかく、まるで茶碗が生まれる手伝いをしているような作業が続く…。この様に元来、人の掌中から大切に生まれた茶碗が人の手にしっくり納まらないはずがないのである。日を置いて高台をやや浅目に削る。高台脇にくっきりと鮮明に捺された「玄寉」(げんかく)の丸印は清水寺貫主の直筆で、師より今春拝領したものだ。天谿さんは土の力で立ち上がった茶碗の口縁を鉋で削らない。自然の摂理に適った造形に優るものは無いと信じるからだ。水墨画の理を知る画家の信念が作陶にも伺える。天谿さんの捻る楽茶碗の大きな特徴がこの極力、土の成り行きを生かした造形、殊更に口縁造りにあると言えるだろう。
さて、清水寺貫主森清範師の箱書を頂き、銘「銅雀」(どうじゃく)と名付けられたこの赤楽茶碗。 紀元210年、三国志の覇者曹操が魏王に昇ったのを記念し鄴(ぎょう)に荘厳絢爛たる樓館を造営したと云う。世世この美しい建造物は銅雀台と称され、後代の歴史にこの名を残すことになる…。
銘名の由来に壮大な思いを馳せて茶碗の景色を眺めたら、是非手に取ってみてほしい。そして掌の中で一碗の天地をゆったりと転がしてみる。しばし賞玩し、茶を点て喫すれば心と身軀(からだ)が温かくなるまでに然程の時を待たないであろう。この心を洗われるような至福の心持ちは、人の生き方とそれに寄り添う道具や事象との合縁奇縁から生まれて来るのかもしれない。