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赤楽 乙御前香合 銘「相思子」(清水寺貫主 森清範師 箱書)
アカラク オトゴゼコウゴウ メイ 「ソウシシ」

細工の譚

人物画家の造形への拘りはこの福々しい赤楽の香合の顔の表情一点に注がれる。茶碗の造形とは異なり、こうした人物の香合の制作には彫塑的な要素が強く求められる。基本的に細工物の制作は工房ではなく河原町万寿寺のアトリエ「玄鶴樓」へ土を持ち帰って行われるのでその制作風景を知る機会は殆んど無い…。しかも楽の細工物は今までにも天谿さんの本当に気が向いた時にしか造られていないわけで…その機会を得る確率は更に少なくなる。幸運にも私は以前その場に居合わせた事がある。成形に使用する道具といえば爪楊枝一本のみ。あとは巧みに両手の指先の腹を使って表情と仕草を造って行く…。そして二時間程で成形は完了した。天谿さんの描く道釈画の主人公がそっくりそのまま画面から飛び出して来たようで何とも愉快で微笑ましい。この乙御前(おとごぜ)は元来、狂言に登場する愛嬌たっぷりの女性のことを指したが、実は誰もが知っている「お多福」のことである。香合は茶道の点前で用いられる小さな道具で、四季折々の茶事にその時節を感じれるものとして誂えられる。

天谿さんはあくまで道釈人物画家だ。人物をどう描くかに因って、それをとりまく空間や情景が如何様にも豊かに想像できることを知っている。例えば、背景は白紙のままで乙御前のみを描いてみる…やや上向き加減に微笑むこの女神のその先に蝶が舞うも良し、新緑の風が渡るも良し、はふりはふりと雪がおちるもまた良しである。そしてこれが立体の造形として実際の日常空å間に置かれたとしたら、状況や環境に依って連想される景色もまた変わる。能面がそうであるように、この香合の顔も光源の角度によって使う者に千変の表情を豊かに見せてくれることだろう。

さて後日、本焼の窯から取り出したこの香合を天谿さんは玄鶴樓に運んだ。最終の工程を施す為だ。天谿さんは人物の細工物の制作で一番の楽しみがこの作業だと言う。焼き上がったこの福の神の笑い顔に命を吹き込んで行くかのように日本画の顔料で丹念に彩色する。その筆に集中する天谿さんの口元が微かに笑って見えるのが印象的だった。この最後の工程こそまさに面目躍如、この道釈画家の真骨頂と言える。

文 ・太書紀

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