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令和開元祖師達磨図 (浅絳指墨)
レイワカイゲンソシダルマズ センゴウシボク

天皇陛下の御即位が粛々と成った。
五月一日。令和の新世を幸(さきわ)ふ目出度くもこの記念すべき日、我が人生にもまた一つの節目として…画室の机上に何か一つの小さな挑戦を残しておきたい…ふとそう思った。
制作のきっかけや動機は所詮そんな日常のちょっとした気紛れから始まるのだろう…。大義な解説や芸術論などは後付けに過ぎないとも思えるのだが…。

さて…その小さな挑戦がこの作品である。
雪舟天谿がその名も新たに、文字通り令和の御世の事の始めに画(えが)く祖師達磨図という訳である。
平成の最後に画いた「祖師観音対面図」の達磨とは随分と趣きの異なる仕上がりとなっている…。
私の周辺からも「ガラリと作風が変わりましたね」とか「次の境涯へ入られましたか…」などの沢山の感想をお寄せ頂いた。
そこで私はというと…悪戯を仕掛けてその種明かしの時を楽しみに待つ子供のように、心中ひとり北叟笑(ほくそえ)んでいるのである。
正に趣(おもむき)も異なれば画風も違うそのはずである…。使う道具が筆ではなく自らの指だけなのだから…と種明かしをする。

本作には「浅絳指墨(せんごうしぼく)」と副題を添えた。…少し難しい用語である。
「指墨」とは指頭画(しとうが)とも呼び、古く文人墨客の間で趣向されてきた文雅清遊の余技的な画法を云う。読んで字の如く筆は終始一切使用せず、その「指」のみで作画するというものである。

更に言うならば…この画法に用いる指は親指・薬指・小指の三本のみとされ、作画の用途に応じて各指の指の腹・爪を駆使して即興で画いていく…。
打ち込む角度、動かす速度など指の先端に細心の注意が必要である。
最も鋭い線は長く伸ばした小指の爪を羽根ペンのように使い、淡墨や彩色はその面の大きさと変化に応じて最大では指三本を合わせ臨機に対処する。
墨をつけた指の腹を紙の上で短気に横へ動かすと忽ち濡れた紙面が破れてしまうので、面が大きいほど指の墨を押さえるようにたっぷりと紙に塗っていく…。それは、むしろ「塗る」というよりは「置く」という感覚で、ここは慎重を要する作業である。
当然のことながら指は筆と違って水や墨を蓄えることが出来ないので、線や形の行く先が乱れないように素早く頻繁に墨鉢から指でこれを連続して紙面へ運ばねばならない。両手の分担は左の三指は墨、右の三指は水…その姿はまるで蟹である。
線の行方と表情が己れの指のその先に全く見えないこの画法は、常に想定外の困惑と感動と発見が交錯し、絶えず直感的な即応力がその都度必要となる。

そして、結果的にこれら極端な制約が達磨の「光と陰」に不思議なリアリティ(現実味)、即ち空気感を醸し出す…。
ここに指頭画が単なる「筆を使わずに描いて見せる」という余興的な試みではない意味があるのだと実感する…。正に経験の上で初めて得る実証という訳である。
制作の過程で画中数箇所に其々の指紋を残した。
これは前例にはない私の創意…と言うよりはちょっとした遊び心である…。

更にこの作画の制約は筆を指に代える画法の他に彩色にまで及ぶ。
「浅絳(せんごう)」の「絳(こう)」とは赤い色を指す古い言葉で、岱赭(たいしゃ)と呼ばれた赤土色の単一の絵の具の濃淡のみで画面に恰(あたか)も豊かな彩色があるように見せたものである。
東洋画において絵画のことを「丹青(たんせい)」と呼び習わすのは古来、水墨以外の絵の具が現在のように豊富多彩では無く、丹(朱赤)と青(藍碧)の二色のみを使って画面に天地幽玄の色彩を現したことに因る。
「浅絳」の彩色法はこの二色を更に丹(あか)一色に限定して描くという極めてストイックで様式的な故習(こしゅう)と言える。本作では古法に倣い岱赭(赤茶系の顔彩)一色を使用した。

この指墨…即ち指頭画は近代、富岡鉄斎などにも若い時代の作例を見るがやはり余技的表現の域を出ない。指で画くという極端な表現の制約や拘束が作品としての安定した完成度を許さない問題があるのだろう…。
しかしながら、いつの時代でもまた何の分野にも一際群を抜く才能の持ち主は現れるものである。
ここに我が国の近世「指頭画の名手」が一人いる…江戸時代後期の画家、京都に在って与謝蕪村と共に南画を大成し、一家を成した池大雅である。
彼の指頭画の作例は大変多く、その制作時期は彼の二十代に集中する。
その作品は何れも技巧・文雅・品位を備え、誠に完成度の高いものである。

私が初めてこの池大雅の指頭画の素晴らしさに感動し、自らも画いてみようと思ったのは大学卒業してすぐの頃、22歳の時だった…。
好奇心と意気込みだけが先行し…画くほどに絵は全く想うに成らず、なるのは墨で真っ黒になる手ばかりという始末…一応完成はしたものの、そのままその絵をスケッチブックに挟み、本棚の隙間に仕舞ったのを覚えている。
あれから35年…二度目のふとした挑戦であった。
余技的表現を脱した大雅の指頭画の完成度の高さは何をしてそうあるのか…と今この歳に想う。
勿論、大雅の技巧の妙もあるのだろう…が、やはり清趣な「文雅」の風(ふう)を作品全体に醸(かも)し出す彼の内面的精神性の高さがその指頭画を優れた作品の域へ到達させているのだと私は思う。

画祖雪舟の「破墨」同様に、池大雅のこの「指墨」は「制約こそ爆発的な創造を生む」…ということを実証体得する中で私に教示してくれたのである。
池大雅が指頭画に南画の「文雅」を画くなら、私はそれに道釈画の「禅味」を画き出せれば良い…。

制約の先の制約の…更にその制約の末に出現したこの令和開元の祖師達磨は天を今静かに仰ぎ見る…
少室山での面壁九年の苦行を終え、お悟りの足で第一歩を踏み、その両眼で天地を一眺(いっちょう)される正にその瞬間の姿である。
その視線に応えるかのように天から柔らかな一筋の光明が降り注ぐ…。
真(まこと)に理屈の遙かに及ばぬところ。
…画こうとして画けるものではなく、委ねるからこそ画けるもの、観えてくるもの…指頭画もまた、我が道釈画の「破墨法」と同様に天意に依って画(えが)かされるものだったのである。

…ふと、これも皆、後付けかな…と、iPhoneを片手に思うことである。
画室に流れるOlly Mursの曲を聴きながら…。

文 ・玄靏樓主人 雪舟天谿
2019年6月 制作

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