三様の譚
永らく道釈画史に略して「三酸図」と称されて来た画題である。仏儒道の三教祖、即ち三聖(達磨・孔子・老子…本図では釈迦に代わって禅宗祖師達磨を描く)が一つの大壺を囲んで互いに教義を論じ合い、その中の酢を柄杓で汲んでこれを吸い、各々眉を顰める様子を描くというものである。桃花酸と呼ばれたこの酢は、この壺中に満々と湛えられていて、桃の花のようにうっすらと仄かに赤いと云う。天谿さん描くこの三者三様の表情を見ていると、舐めなくともその酸味は十分に分りそうだ。この時代の聖人であろうが、それをいま具に観ている私達であろうが、時代がどうあれ、地域がどうあれ、はたまた思想信条がどうあれ酢はやっぱり酸っぱいのである。人が人であることを証し、人は人として本来何ら違いは無いこと、そしてそう生きることの尊さや素晴らしさをこの画はそっと教示する。
宗教学的見地からみれば東洋に於いて三大宗教であったはずのこの仏儒道の教義や信仰が違っていても真理は一つ同じであることを示す「三教一致」を意味しているのだろう。...が私には酸っぱさに思わず口を尖らせ眉を上げて滑稽にその顔を見合わせるこの三人の表情が子供の頃、仲間と悪戯を経験し、秘密を共に楽しんだ情景と重なってとても懐かしい思いになる。天谿さんの三酸図はとても人間性豊かであり、親しみを感じることが出来る、そんな画なのである。
この画題は近世の作例は殆んど無い。謂わば天谿さんの「昔あったが今に絶えた道釈画」の現代的再生の一例である。この度、相国寺の有馬頼底老師の着賛を得て現代に甦ることとなった。天谿さんは、歴史に埋没した様々な画題を掘り起こし、現代人へ語り掛け、問い続ける。…仏の教えは小難しいものではなく、我々の何気無くさり気ない日常の機微の中にこそ在る。この三酸図にみる些細で当たり前と思われる情景からですら現世に人間らしく生きることの尊さが確かに見い出せるのだから。